神生み 6:虐殺された火の神 前編

火の神を生んだことが原因で、命を落としてしまった伊邪那美神(いざなみのかみ)。
その亡骸をそのままにしておくわけにいかず、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は悲しみながらも出雲の国と伯伎(ほうき)の国の境にある比婆(ひば)の山に葬りました。

この比婆の山がどこに当たるのか、現時点では明確に定まっていません。
恐らくは、広島県庄原市から島根県仁多郡奥出雲町境にある比婆山であろうといわれています。

伊邪那美神を埋葬した後。
伊邪那美神を失った悲しみは怒りに変わり、怒りはやがて殺意に変わります。

伊邪那岐神は腰に差していた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、自分の子供である迦具土神(かぐつち)の首を斬って殺してしまいます。

刀の先についた血が、ばっと湯津石村(ゆついはむら)に飛び散りました。
その血から、刀剣の神である石拆神(いわさくのかみ)、根拆神(ねさくのかみ)、石筒之男神(いわつつのおのかみ)の3柱が出現しました

古代の人々は鉄鉱石を熱い火で燃して溶かして加工して、剣や矛を作りました。
そのため製鉄において火の存在は、絶対的に必要なものでした。

だからこそ、火の神と剣の神が縁深いのでしょう。
銑鉄が火に溶けて真っ赤になる様に、古代の人々は火の神の血によって出現する神を見たのかもしれません。

刀の手元についた血も、湯津石村に飛び散りました。
その血から、火の神である甕速日神(みかはやひのかみ)と樋速日神(ひはやひのかみ)、そして雷の神である建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)の3柱が出現しました。

建御雷之男神は別名が2つあり、建布都神(たけふつのかみ)と豊布都神(とよふつのかみ)です。

熱くなった金属は、叩くと固くなります。
「鉄は熱い内に打て」という言葉が生れるほどに、鉄剣を作る上で加工硬化は重要な過程でした。

加工硬化の際、刃を叩くたびにほとばしる火花。
そして凄まじい稲光を発して雷が落ちると、激しい火事が発生するなど。
火と雷を関連付けて、そこで見出された神様が建御雷之男神です。

この後建御雷之男神は、出雲の国譲りの交渉人として天下ります。
その際、海に突き出た剣の突先に座って現れます。

古代の人々は、いかに火と剣と雷を結び付けて考えたのかが伺えます。

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