黄泉国で夫婦喧嘩 3:黄泉比良坂に宿る桃の木

伊邪那岐神(いざなぎのかみ)はひたすら逃げますが、追いかけてくるのは母都志許売だけじゃありませんでした。
伊邪那美神(いざなみのかみ)の体にいた8つの雷神と、さらになんと千五百(ちいほ)に及ぶ黄泉の軍勢が追いかけてきたのです。
伊邪那岐神はもう、生きた心地がしなかったことでしょう。

腰に差していた十拳剣(とつかのつるぎ)抜いて、後ろ手に振りながら走りました。
このような、後ろ手に剣を振る動作は、背後にいる相手を呪う動作です。

呪われても黄泉の軍勢ですから、勢い留まることなく追いかけてきます。
邪悪なものに邪悪な行為をしても何の役にも立たない、ということが分かります。

絶体絶命の状況で、伊邪那岐神はようやく黄泉の国と現世を繋ぐ、黄泉比良坂(よもつひらさか)に辿り着きました。

黄泉比良坂のふもとには桃の木がなっていて、その桃の実を3つ取って背後の黄泉軍に投げました。
するとどうしたことか、黄泉軍がたちまち逃げ帰っていきます。
そこで初めて、桃には清める力があることを知るのです。

邪悪なものに邪悪な行為をしても役に立ちませんが、清めの行為をすれば退けることが出来るのす。
日本の神道が、「清め」という概念をとても大切にしているのは、このような神話のエピソードからきているのでしょう。

ちなみに節分の豆まきは、黄泉の国で伊邪那岐神が桃を投げた神話が起源です。
桃の代わりに豆を投げて、鬼(黄泉の軍勢)を遠ざけているのです。
古事記の神話はこのようにして、年中行事の中に今も息づいています。

伊邪那岐神(いざなきのかみ)は自分の身を救ってくれた桃の木に、
「私を助けてくれたように、葦原中国(あしはらのなかつくに)に住む美しい青人草(あおひとくさ)が苦しみの淵にいる時や、患っている時、悩んでいる時に、同じように助けてあげなさい。」
と言いました。
そうして、偉大な神の霊が宿るという意味の意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)という名前を授けました。

葦原中国は日本のことです。青人草とは、現世に生きる人を指します。
桃の木は悪いものを遠ざけるだけでなく、人を助ける役割を神様に与えられた植物なのでした。

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