三貴子出現 4:禊より出現する海路の神々 前編

ここから先は海路に関わる神々です。

古代の人々は河海に悪霊や邪気が流れていると信じており、そのような悪霊や邪気も神様のひとつと捉えていました。

手巻(たまき)とは、手首に巻く装身具のことです。
この左手につけた装身具から、奧疎神(おきざかるのかみ)・奧津那芸佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ)・奧津甲斐弁羅神(おきつかいべらのかみ)の3柱の神様が出現しました。

奧疎神は、海で沖から遠く離れていった疫病神様です。
奧津那芸佐毘古神は、沖の渚の神様です。
奧津甲斐弁羅神は、波打ち際の沖側の神様です。

右手につけた装身具からは、辺疎神(へざかるのかみ)・辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)・辺津甲斐弁羅神(へつかいべらのかみ)の3柱の神様が出現しました。

辺疎神は、浜辺を離れていった疫病神様です。
辺津那芸佐毘古神は、浜の渚の神様です。
辺津甲斐弁羅神は、波打ち際の浜側の神様です。

このようにして、衝立船戸神より辺津甲斐弁羅神まで、身に着けた物を脱ぐことによって12柱の神様が出現致しました。

身に着けていたものをとって、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)はすっかり裸になりました。
そして禊祓(みそぎはらえ)をするため、いよいよ水の中へと進んでいきます。

「川の上の方は流れが速い、川の下の方は流れが弱い。」
と言って、川の丁度中ほどで程よい流れの中に降りて潜って、体についた穢れを綺麗にすすぎました。

すすいだ時穢繁国(けがれはしきくに)、つまり黄泉の国にいた時の汚垢(けがれ)が神様になりました。
その時出現した神は、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おおまがつひのかみ)です。

八十禍津日神は沢山の災禍の神様で、大禍津日神は偉大な災禍の神様です。
「八十」は「沢山」を意味する言葉で、「禍」はよくないことを意味する言葉です。

あらゆる災いについての神様です。
日本の神様はこのように、恐ろしいものも神様に成り得るのです。

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