三貴子出現 1:清めの儀式

迎えに行ったにも関わらず、結局別れることになった伊邪那岐神(いざなぎのかみ)。
一段落して己の体を見回すと、大変穢れていることに気づきます。

「私は嫌な大変に醜く穢れた国に行っていた。体を清めよう。」
と言って、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(おど)の阿波岐原(あわぎはら)に訪れ、禊祓(みそぎはらえ)をしました。

竺紫の日向は、九州の薩摩地方といわれています。
小門とは、小さく狭い海峡のことです。
薩摩地方にある海峡で、阿波岐原というところに訪れたということですが、現在それがどこかは分かっておりません。

禊(みそぎ)とは、川や海などに浸かって心身を清める神事のことです。
私達は毎日お風呂に入りますが、お風呂の起源は実はこの禊です。
豊かな水に浸かって心身ともに清らかになる神道の風習は、現代においても日常生活の中に当たり前に息づいているのです。

日本は水が豊富でインフラがかなり整備されていることもありますが、世界的にみてもっとも湯船につかる民族といえるでしょう。
これは、古来から続く禊の意識が脈々と根付いているからではないかと思われます。

祓(はらえ)とは、汚穢(おえ)とよばれる心身についた不浄なものや厄災をとることです。
祓の方法は、川や海などの水に浸かったり、後は神職が御幣(ごへい)で振ってもらったり、いくつか方法があります。
御幣とは、金銀や五色の紙を串に挟んだ、神職の方が手にしているのを見かけるヒラヒラしたアレです。

清い水に浸かって汚穢などをとることを、特に禊祓といいます。
禊は一般的に裸で水に浸かりますので、伊邪那岐神も身に着けているものをとって裸になりました。

この身に着けているものをひとつひとつ放り投げましたが、そこから沢山の神々が出現します。

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